301 |
期刊論文 |
王美玲 |
台湾の青少年における学校観と非行観[96-1] |
2014-04-09 |
302 |
期刊論文 |
王美玲 |
日本における不登校とフリースクールの現状と課題―フリースクールでの質的調査を通して―[96-1] |
2014-04-09 |
303 |
期刊論文 |
堀越和男 |
日本語学習の動機づけとその成果-台湾の大学で日本語を専攻する学習者を対象に[96-1] |
2013-04-17 |
304 |
期刊論文 |
林寄雯 |
藤村文学の金銭問題--岸本、三吉、半蔵の人物像からみる場合[96-1] |
2013-04-17 |
305 |
期刊論文 |
馬耀輝 |
近世後期における外圧の出現と武士のエートス--林子平の『海国兵談』を読む[96-1] |
2013-04-17 |
306 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
明治末期の新聞メディアのエクリチュール--明治40年代朝日新聞連載小說を中心に[96-1] |
2013-03-12 |
307 |
期刊論文 |
顧錦芬 |
童話試論─宮沢賢治の場合[96-1] |
2010-12-01 |
308 |
期刊論文 |
王美玲 |
フリースクールの不登校対策としての可能性―フリースクールの理念と運営体制に関する事例比較を通して―[95-2] |
2014-04-09 |
309 |
期刊論文 |
廖育卿 |
森鷗外作品における〈狂気〉の位相―初期三部作の女性像をめぐって―[95-2] |
2011-10-24 |
310 |
期刊論文 |
田世民 |
水戸藩の儒礼受容─『喪祭儀略』を中心に─[95-2] |
2011-10-12 |
311 |
期刊論文 |
富田哲 |
<書評>木村護郎?????『言語????「人為性」??????言語構築?言語??????:????語????語?事例???』[95-1] |
2016-11-07 |
312 |
期刊論文 |
施信余 |
「依頼・断り」のコミュニケーションについて―日本人同士と台湾人同士による電話会話の分析から―[95-1] |
2016-10-26 |
313 |
期刊論文 |
江雯薰 |
時間従属節に関する一考察--「サイチュウ」を中心に[95-1] |
2013-04-17 |
314 |
期刊論文 |
林寄雯 |
代助にとっての二百円の意味--『それから』の金銭問題[95-1] |
2013-04-17 |
315 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
漱石の『彼岸過迄』のエクリチュール--「後姿の女」を糸口として[95-1] |
2013-03-12 |
316 |
期刊論文 |
施信余 |
依頼に対する断りの行動展開パターンに関する日台対照研究―女性友人同士の電話会話データの分析から―[95-1] |
2011-10-24 |
317 |
期刊論文 |
王美玲 |
台湾における中途輟学(不登校)研究の動向と問題点[94-2] |
2014-04-09 |
318 |
期刊論文 |
堀越和男 |
SVM仮説の再検証-「は」と「が」の習得の観點から-[94-2] |
2013-07-11 |
319 |
期刊論文 |
彭春陽 |
日本平安時代女流文學-源氏物語[94-2] |
2013-04-11 |
320 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
日本語作文能力向上の方法を探って--大学3年生を対象に[94-2] |
2013-03-12 |
321 |
期刊論文 |
李文茹 |
ジェンダーから見た台湾原住民の記憶と表象――霧社事件を中心に[94-2] |
2011-10-24 |
322 |
期刊論文 |
施信余 |
日本語母語話者による「依頼・断り」のコミュニケーションに関する一考察―依頼側と被依頼側の間にみられる相互作用を中心に―[94-2] |
2011-10-24 |
323 |
期刊論文 |
堀越和男 |
台湾の大学の夜間コースにおける日本語学習動機 -日本語を専攻する学習者を対象に-[94-2] |
2011-10-24 |
324 |
期刊論文 |
田世民 |
浅見絅斎の『文公家礼』実践とその礼俗観[94-2] |
2011-10-13 |
325 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
テキストをこえたテクスト--日本近代文学に関する授業を例として[94-1] |
2024-03-21 |
326 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『彼岸過迄』の二人の母--須永にとっての「母なるもの」と「嫉妬」[94-1] |
2017-06-14 |
327 |
期刊論文 |
富田哲 |
<書評>『言語にとって「人為性」とはなにか』[94-1] |
2016-11-07 |
328 |
期刊論文 |
富田哲 |
「明晰な」センサスカテゴリが現れるまで-日本統治初期台湾総督府の「土語」認識[94-1] |
2016-10-26 |
329 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本的自由學校之現狀與實踐[94-1] |
2014-04-09 |
330 |
期刊論文 |
王美玲 |
日本的自由學校之現狀與實踐[94-1] |
2014-04-09 |
331 |
期刊論文 |
江雯薰 |
時間従属節の一系列ー「アゲク」の意味・用法を中心にー[94-1] |
2014-01-03 |
332 |
期刊論文 |
堀越和男 |
「は」と「が」の習得における学習環境及び第1言語の影響--台湾人学習者を中心に[94-1] |
2013-04-17 |
333 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本における教科書問題--『新しい歴史教科書』(扶桑社版)の考察を中心に[94-1] |
2013-03-12 |
334 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本幼托制度發展與現狀[94-1] |
2011-10-24 |
335 |
期刊論文 |
田世民 |
近世における『文公家礼』に関する実践的言説-崎門派の場合-[94-1] |
2011-10-13 |
336 |
期刊論文 |
江雯薰 |
時間従属節に関する一考察--「トドウジニ」の意味.用法を中心に[94-1] |
2010-08-10 |
337 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
《それから》における作者の存在--「テクスト」から「テキスト」へ[93-2] |
2017-06-08 |
338 |
期刊論文 |
李文茹 |
「蕃人」表象・ジェンダー・セクシュアリティ――真杉静枝と中村地平による植民地台湾作品からの一考察――[93-2] |
2017-06-07 |
339 |
期刊論文 |
闕百華 |
国際理解としての英語教育の推進とその課題--学習指導要領の考察を中心にして[93-2] |
2013-03-12 |
340 |
期刊論文 |
江雯薰 |
時間従属節の一系列--「トチュウ」について[93-2] |
2013-03-12 |
341 |
期刊論文 |
李文茹 |
日本人と「蕃人」とのコロニアル・エンカウンター――山部歌津子の『蕃人ライサ』をめぐって[93-2] |
2011-10-24 |
342 |
期刊論文 |
施信余 |
依頼に対する「断り」の言語行動について―日本人と台湾人の大学生の比較―[93-2] |
2011-10-24 |
343 |
期刊論文 |
堀越和男 |
中国人留学生の発話を対象とした「は」と「が」の縦断的研究[93-2] |
2011-10-24 |
344 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『行人』の再読--夫婦と女性の生き方のもうーつの可能性への示唆[93-1] |
2017-06-14 |
345 |
期刊論文 |
富田哲 |
<書評>『占領下日本の表記改革‐忘れられたローマ字による教育実験』(三元社)[93-1] |
2016-11-07 |
346 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『行人』の封印―隱蔽された「ジヨコンダに似た怪しい微笑」―[93-1] |
2016-11-07 |
347 |
期刊論文 |
彭春陽 |
日本語教育における詩の位置づけ[93-1] |
2013-04-11 |
348 |
期刊論文 |
施信余 |
口頭表現クラスにおける「待遇コミュニケーション教育」の試み―2004年度春学期の「実践研究」を通して[93-1] |
2011-10-24 |
349 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『門』の御米の人物像を読み解く : 「拒否」「からかい」「微笑」の身体表現を通して[92-2] |
2016-11-07 |
350 |
期刊論文 |
劉長輝 |
山鹿素行之「聖學」與「士道」[92-2] |
2011-10-24 |
351 |
期刊論文 |
李文茹 |
坂口ネ零子の移民小説と戦争協力[92-2] |
2011-10-24 |
352 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
健三にとっての「母なるもの」―『道草』に隠蔽された漱石の心境―[92-1] |
2014-01-03 |
353 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
健三のもうーつの対人関係--『道草』論を振り返ってみて[92-1] |
2013-04-17 |
354 |
期刊論文 |
富田哲 |
明治三十八年臨時台灣戶口調查相關書籍之介紹[92-1] |
2011-10-24 |
355 |
期刊論文 |
富田哲 |
日本統治期台湾でのセンサスとかなの読み書き調査[92-1] |
2011-06-03 |
356 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本における中高一貫教育の推進に関する--考察[91-2] |
2024-03-21 |
357 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本推展完全中學之考察[91-2] |
2024-03-21 |
358 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『道草』における島田の位置[91-2] |
2017-06-13 |
359 |
期刊論文 |
富田哲 |
1905年臨時台湾戸口調査が語る台湾社会-種族・言語・教育を中心に[91-2] |
2017-06-13 |
360 |
期刊論文 |
彭春陽 |
川上弘美の短編小説集「溺レ」---結婚構図における男女関係[91-2] |
2016-10-26 |
361 |
期刊論文 |
李文茹 |
植民地を語る苦痛と快楽――台湾と日本のはざまにおける真杉静枝のアイデンティティ形成[91-2] |
2013-04-17 |
362 |
期刊論文 |
馬耀輝 |
武昌蜂起前後日本の革命に対する態度と反応[91-2] |
2013-04-17 |
363 |
期刊論文 |
田世民 |
熊沢蕃山の水土論[91-2] |
2013-04-17 |
364 |
期刊論文 |
鍾慈馨 |
日本語の変化‧状態を表す動詞--日中対照研究[91-2] |
2013-04-17 |
365 |
期刊論文 |
江雯薰 |
時間従属節の一系列―「イライ」を中心に―[91-2] |
2011-10-20 |
366 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
夏目漱石の小說を「銀行(員)」の視点で読むーヒロインの結婚話と関連してー[91-1] |
2013-04-17 |
367 |
期刊論文 |
林寄雯 |
個人主義と金銭問題--藤村の『春』と漱石の『三四郎』の場合[91-1] |
2013-04-17 |
368 |
期刊論文 |
李文茹 |
日本女性筆下皇民化時期的臺灣家庭――従坂口ネ零子「鄭一家」談起」[91-1] |
2013-04-11 |
369 |
期刊論文 |
鍾慈馨 |
「~は何ですか」に対する回答文の形式--日中対照研究の視点から[90-2] |
2017-06-14 |
370 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
夏目漱石の『門』の中の「門」[90-2] |
2017-02-20 |
371 |
期刊論文 |
鍾芳珍 |
二技における日本語教材についての一考察[90-2] |
2013-05-31 |
372 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
夏目漱石の『門』論--他者としての「小六」の意味[90-2] |
2013-04-17 |
373 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本における中等教育改革の現状と課題[90-2] |
2013-04-17 |
374 |
期刊論文 |
彭春陽 |
日本白樺派作家の群像[90-2] |
2011-10-24 |
375 |
期刊論文 |
彭春陽 |
日本の国民女歌人――俵万智[90-2] |
2011-10-24 |
376 |
期刊論文 |
李文茹 |
偽装アイデンティティ――坂口ネ零子の「鄭一家」をめぐって[90-2] |
2011-10-24 |
377 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『坊っちゃん』と『坑夫』の類縁性-「笑い」を視点として-[90-1] |
2017-06-08 |
378 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『それから』の「指輪」と「時計」―男女関係の記号論[90-1] |
2016-11-07 |
379 |
期刊論文 |
林寄雯 |
藤村の『春』と巴金の『春』-恋と旧家をめぐってー[90-1] |
2011-10-24 |
380 |
期刊論文 |
富田哲 |
台湾総督府国勢調査による言語調査-近代的センサスとしての国勢調査の性格から見た内容の変化-[90-1] |
2010-06-16 |
381 |
期刊論文 |
彭春陽 |
芥川龍之介の漢詩世界[89-2] |
2024-01-18 |
382 |
期刊論文 |
闕百華 |
戦時下における台灣の中等教育課程に關する研究[89-2] |
2018-08-07 |
383 |
期刊論文 |
富田哲 |
多樣な記憶、多樣な言語--台湾で小林よしのり『台湾論』を読む[89-2] |
2013-04-17 |
384 |
期刊論文 |
張瓊玲 |
閩南語における日本語借用語についての--考察[89-2] |
2013-04-17 |
385 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
古典日本語の学習內容について--教材の選択と編集を中心に[89-2] |
2013-04-17 |
386 |
期刊論文 |
鍾慈馨 |
日本語他動詞における有意性と無意性の問題--日中語対照研究の視点から[89-2] |
2013-04-17 |
387 |
期刊論文 |
馬耀輝 |
明治建白書研究序説--新たな研究の試みとして[89-2] |
2013-04-17 |
388 |
期刊論文 |
劉長輝 |
山鹿素行における規範主義の形成[89-2] |
2013-04-17 |
389 |
期刊論文 |
闕百華 |
第二次台湾教育令下における中等教育--教育課程を中心に[89-2] |
2013-03-12 |
390 |
期刊論文 |
林寄雯 |
島崎藤村の『家』における金銭問題[89-2] |
2013-03-12 |
391 |
期刊論文 |
顧錦芬 |
南吉童話における<鐘>の意義-文学の補助教材として-[89-2] |
2010-06-16 |
392 |
期刊論文 |
彭春陽 |
芥川龍之介と章太炎[89-2] |
2010-06-16 |
393 |
期刊論文 |
林寄雯 |
『新生』の告白[89-1] |
2017-06-14 |
394 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
『虞美人草』における宗近の人物像への探究―「金時計」の話と結婚に関する話題とを鍵として[89-1] |
2016-11-07 |
395 |
期刊論文 |
富田哲 |
言語の多樣性を否認する議論-台灣で小林よしのり『台湾論』を読む[89-1] |
2010-06-16 |
396 |
期刊論文 |
江雯薰 |
「〜瞬間(ニ)」、「〜途端(ニ)」、「〜ヤ(否ヤ)」、「〜ナリ」―その共通点と相違点について[88-2] |
2017-06-14 |
397 |
期刊論文 |
林寄雯 |
『新生』における手紙の役割[88-2] |
2016-11-07 |
398 |
期刊論文 |
劉長輝 |
漢籍における「聖」の諸相[88-2] |
2013-04-17 |
399 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本統治初期における中等教育の展開--教育課程の基準を中心に[88-2] |
2013-04-17 |
400 |
期刊論文 |
馬耀輝 |
近代化に向けてのエートス変動について--非西洋後発社会日本の近代化をどら捉えるか[88-2] |
2013-04-17 |