101 |
期刊論文 |
顧錦芬 |
「宮沢賢治詩集」の中国語訳についてー難点と克服[105-2] |
2024-01-23 |
102 |
期刊論文 |
口達郎 |
言語神の落日 : 記紀言語神から言霊へ[105-2] |
2021-03-09 |
103 |
期刊論文 |
口達郎 |
言霊の在り処:言霊と和歌との関係性をめぐって[105-2] |
2021-03-09 |
104 |
期刊論文 |
蔡欣吟 |
興趣導向促進自律學習之實踐[105-2] |
2018-10-04 |
105 |
期刊論文 |
王嘉臨 |
「村上春樹「女 のいない男たち」論─男たちの関係 性をめぐって─」[105-2] |
2018-03-16 |
106 |
期刊論文 |
蔡欣吟 |
日本語教科書にみる多義動詞「きく」ー中国語母語話者による語義判断に着目してー[105-2] |
2018-03-15 |
107 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
台湾における二人の日本国民作家夏目漱石と村上春樹―淡江大学村上春樹研究センターの設置から見て―[105-2] |
2017-10-31 |
108 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
ネイチャーライティングとしての『苦海淨土』の読み―近代という魔性との格闘と第三項認識の可能性―[105-2] |
2017-10-31 |
109 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
エコクリティシズムから読む有吉佐和子『複合汚染』[105-2] |
2017-10-31 |
110 |
期刊論文 |
江雯薰 |
物語の構造から見た時間副詞について─「このころ」「そのころ」「あのころ」を中心に─[105-1] |
2020-12-30 |
111 |
期刊論文 |
中村香苗 |
フィッシュボウル式訓練による議論スキル習得-日本語L1-L2話者間のディスカッションから-魚缸式訓練之討論技巧習得--日語L1和L2會話者的討論實例研究--[105-1] |
2019-12-18 |
112 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本高等教育國際化的危機與轉機-以世界大學排名為例[105-1] |
2018-08-07 |
113 |
期刊論文 |
張瓊玲 |
視障生的日語教育現況-以淡江大學日文系為例[105-1] |
2018-08-07 |
114 |
期刊論文 |
闕百華 |
視障生的日語教育現況-以淡江大學日文系為例[105-1] |
2018-08-07 |
115 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
烏爾利希・貝克「風險社會」論述下的日本原發文學書寫―對照多和田葉子與亞歷塞維奇有關核災創作―[105-1] |
2017-10-31 |
116 |
期刊論文 |
蔡欣吟 |
『万葉集』における感覚表現「寒し」の考察[105-1] |
2017-03-02 |
117 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
村上春樹文学の魅力―台湾の視点から―[105-1] |
2017-03-02 |
118 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
ネイチャーライティングの観点から読み解く石牟礼道子『苦海浄土』―故郷との対話を中心に―[105-1] |
2017-03-02 |
119 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
職業作家の視点から見た二人の国民作家漱石と村上春樹[105-1] |
2017-03-02 |
120 |
期刊論文 |
田世民 |
脇蘭室の思想ー聖賢に学ぶ修己治人の道ー[105-1] |
2017-01-09 |
121 |
期刊論文 |
口達郎 |
神の発話と神への発話:「言挙」に関する一考察[104-2] |
2021-03-09 |
122 |
期刊論文 |
中村香苗 |
日本語L1-L2学生間の議論訓練における「気づき」ー観察者評価に注目してー[104-2] |
2019-12-18 |
123 |
期刊論文 |
闕百華 |
台湾の小・中学校における日本語教育の現状とあり方[104-2] |
2018-08-08 |
124 |
期刊論文 |
徐佩伶 |
日本語における非意図的他動詞文の実現に関する考察[104-2] |
2017-12-18 |
125 |
期刊論文 |
富田哲 |
[書評]山本和行著『自由・平等・植民地性ー台湾における植民地教育制度の形成』[104-2] |
2017-06-07 |
126 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
エコクリティシズムから読むポスト3・11文学作品―多和田葉子『献灯使』を中心に―[104-2] |
2017-03-02 |
127 |
期刊論文 |
施信余 |
日本語母語話者と台湾人日本語学習者の接触場面における調整行動ー遠隔接触場面と対面接触場面の比較を試みるー[104-2] |
2016-11-14 |
128 |
期刊論文 |
富田哲 |
元台湾語通訳者市成乙重とアジア・太平洋戦争期の「福建語」[104-2] |
2016-11-04 |
129 |
期刊論文 |
廖育卿 |
「半日」における博士夫人の〈気違〉ー森鷗外ドイツ三部作における〈狂気〉との類縁性ー[104-2] |
2016-10-26 |
130 |
期刊論文 |
徐佩伶 |
De補語構文の解釈と有界性[104-2] |
2016-04-25 |
131 |
期刊論文 |
王嘉臨 |
志賀直哉「網走まで」(初出形)論─方法の獲得へ[104-2] |
2016-01-25 |
132 |
期刊論文 |
江雯薰 |
現代日本語における傾向表現について─「~がちだ」「~っぽい」「~やすい」をめぐって─[104-1] |
2020-12-30 |
133 |
期刊論文 |
施信余 |
【書評】依頼の会話における「待遇ストラテジー」の研究—相互行為としての会話教育の理論と実践—[104-1] |
2017-06-15 |
134 |
期刊論文 |
林寄雯 |
翻訳語から移動の中の「日本」を探る―和製漢語から台湾にある日本語からの借用語まで―[104-1] |
2016-11-11 |
135 |
期刊論文 |
堀越和男 |
日本語学習者の学ぶ意欲を高める教師の行動と役割ー第二言語不安を中心とした考察ー[104-1] |
2016-04-11 |
136 |
期刊論文 |
施信余 |
国际远程教育的实践与经验–以“亚洲学生远程会议”课程为例[104-1] |
2016-04-11 |
137 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
エコクリティシズムから見た多和田葉子の書くことの「倫理」―「不死の島」と「献灯使」との連続性・断絶性―[104-1] |
2016-03-04 |
138 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
村上春樹の男嫉妬物語「木野」の蛇の持つ「両義性」―重層物語世界の構築へ向けて―[104-1] |
2016-03-04 |
139 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
村上春樹《沒有女人的男人們》中的城市拼圖[104-1] |
2016-03-04 |
140 |
期刊論文 |
田世民 |
公と私から見る日本の葬祭儀礼ーー中国と比較して[104-1] |
2016-02-18 |
141 |
期刊論文 |
中村香苗 |
大学学部生による日本語教育実践報告ーキャリア教育の観点からー[104-1] |
2016-01-06 |
142 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
「トポロジーとしての「故郷」の視点から試みる日本原発文学―水上勉の『故郷』を中心に―[103-2] |
2024-01-17 |
143 |
期刊論文 |
口達郎 |
継承と超克:賀茂真淵の老子受容を巡って[103-2] |
2022-02-24 |
144 |
期刊論文 |
中村香苗 |
探究社會文化理論中的「學習」-台灣JFL學習者討論活動之母語使用與協同式建構的學習[103-2] |
2019-12-18 |
145 |
期刊論文 |
富田哲 |
開放包容的「詮釋共同體」,評陳培豐《想像和界限:臺灣語言文體的混生》[103-2] |
2017-04-25 |
146 |
期刊論文 |
馬耀輝 |
林子平「父兄訓」之研究(一)—以「父兄之過」為中心[103-2] |
2016-12-16 |
147 |
期刊論文 |
李文茹 |
坂口れい子の台湾「番地作品」における女性像と植民地的ノスタルジアの政治性[103-2] |
2016-10-21 |
148 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
生態文學論述中與故鄉的溝通---以探討石牟礼道子《苦海淨土》為主[103-2] |
2016-03-04 |
149 |
期刊論文 |
富田哲 |
淡江盃日本語ディベート大会―「コミュニケーション」とは何か?[103-2] |
2015-12-01 |
150 |
期刊論文 |
徐佩伶 |
The Syntax and the Semantics of Ba-Construction in Mandarin Chinese[103-2] |
2015-06-24 |
151 |
期刊論文 |
徐佩伶 |
中国語におけるCQWC構文の構造とWh等位節の形成[103-2] |
2015-04-29 |
152 |
期刊論文 |
王美玲 |
日本不登校特區現況與核心理念實踐[103-1] |
2024-03-08 |
153 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
「小確幸」の語から連想した村上春樹と志賀直哉―『うずまき猫のみつけかた』と『城之崎にて』の描き方に注目し―[103-1] |
2024-02-26 |
154 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
エコクリティシズムから読む日本の原発文学―3・11を境に見る未来像を描いた「隣りの風車」と「不死の島」を中心[103-1] |
2018-10-18 |
155 |
期刊論文 |
闕百華 |
台灣初等教育階段日語教育實施現況之探討[103-1] |
2018-08-07 |
156 |
期刊論文 |
廖育卿 |
日本語学習の視点から見た台湾学校茶道の可能性-淡江大学茶道部の事例研究-[103-1] |
2018-03-13 |
157 |
期刊論文 |
江雯薰 |
頻度副詞に関する一考察─程度副詞との関係を中心に─[103-1] |
2017-06-15 |
158 |
期刊論文 |
田世民 |
『朱氏舜水談綺』所収朱舜水「書柬式」と中井竹山『柬稽』[103-1] |
2017-06-15 |
159 |
期刊論文 |
江雯薰 |
關於頻率副詞之考察-以高頻率副詞為中心[103-1] |
2017-03-14 |
160 |
期刊論文 |
富田哲 |
[書評]『「なんで英語やるの?」の戦後史-《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程』[103-1] |
2016-10-18 |
161 |
期刊論文 |
施信余 |
日語母語話者與台灣人高級日語學習者在面對面對話場景中使用之調整行為 ─以複合的調整行為間的相互依存連鎖與類型化的分析為中心─[103-1] |
2016-09-20 |
162 |
期刊論文 |
施信余 |
対面接触場面における日本語母語話者と台湾人日本語学習者の インターアクション:調整行動の分析を中心に[103-1] |
2016-09-20 |
163 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
生に寄り添う村上春樹の「モラル(倫理)」の体現―日本の二つの大震災によるトラウマを超える模索―[103-1] |
2016-03-03 |
164 |
期刊論文 |
王嘉臨 |
村上春樹文學中城市表述方法 ——以『舞舞舞』為例[103-1] |
2016-01-25 |
165 |
期刊論文 |
富田哲 |
日本軍政下シンガポールのある台湾人青年―佐々木譲『昭南島に蘭ありや』を読んで[103-1] |
2015-12-01 |
166 |
期刊論文 |
王嘉臨 |
志賀直哉『和解』論-叙述に着目して[103-1] |
2015-03-24 |
167 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
在台灣閱讀村上春樹的「小確幸」[103-1] |
2015-02-26 |
168 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
エコクリティシズムから読む日本原発文学―311を境に見る未来像を描いた「隣りの風車」と「不死の島」を中心に―[103-1] |
2015-02-26 |
169 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
エコロジー理論から見る日本伝統的食文化「うなぎ」―3・11に啓発され自然との調和を目指して[103-1] |
2015-02-26 |
170 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
3・11震災によって形成された日本文化中での「異郷」 被災者の生の声に耳を澄ませつつ[102-2] |
2018-10-18 |
171 |
期刊論文 |
廖育卿 |
『奉教人の死』における〈刹那の感動〉の再検討-女性登場人物の愛情表現を踏まえて-[102-2] |
2017-06-15 |
172 |
期刊論文 |
王美玲 |
另類教育理念實現模式與成效:以日本教育特區為例[102-2] |
2016-09-26 |
173 |
期刊論文 |
施信余 |
対面接触場面における調整行動―台湾人日本語学習者と日本語母語話者の会話より―[102-2] |
2016-09-20 |
174 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
烏爾利希.貝克「風險社會」論述下的日本原發文學書寫-對應出311東日本大震災重創日本後的「改變」[102-2] |
2016-03-07 |
175 |
期刊論文 |
中村香苗 |
日本人児童の文末スタイルシフトに関する一考察ーバフチン的視点からー[102-2] |
2016-01-06 |
176 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
ネイチャーライティングとしてのポスト3・11原発文学―くま.馬.ヒグマが呈示した黙示録―[102-2] |
2015-03-02 |
177 |
期刊論文 |
堀越和男 |
日本語学習の肯定的感情の構成要素と学習成果との関係[102-2] |
2014-12-17 |
178 |
期刊論文 |
王美玲 |
フリースクールの転換と不登校特区のカリキュラム[102-2] |
2014-05-26 |
179 |
期刊論文 |
江雯薰 |
時間副詞に関する一考察─「漸次性」を表す副詞を中心に─[102-1] |
2020-12-30 |
180 |
期刊論文 |
闕百華 |
論日本高等教育之留學生政策-以東京大學之國際化推進計畫析述[102-1] |
2018-08-07 |
181 |
期刊論文 |
闕百華 |
日本對「PISA型學力」的定位-探討與「生存力」的關聯性[102-1] |
2018-08-07 |
182 |
期刊論文 |
廖育卿 |
森鷗外『青年』試論―小泉純一の「夢」に現れた女性達を中心に―[102-1] |
2018-03-13 |
183 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
3・11原発文学作品を教材とした授業の試論―台湾の大学4年生が見た異文化の観点から―[102-1] |
2016-11-09 |
184 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
日本文學中3.11東日本大震災之「挫敗」-與傳統「無常觀」救贖間之關聯[102-1] |
2015-03-02 |
185 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
ネイチャーライティングの定義.起源.系譜.特徴―ポスト3・11日本原発文学研究を射程に―[102-1] |
2015-03-02 |
186 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
通過儀礼として見た村上『神の子どもたちはみな踊る』論―トラウマと向き合う物語の装置―[102-1] |
2015-02-23 |
187 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
第三屆村上春樹國際學術研討會紀實[102-1] |
2015-02-23 |
188 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
日本近代文豪漱石《心鏡》與電影之間―蔓延了百年的內心顫慄[102-1] |
2015-02-23 |
189 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
キャリア意識形成のための日本語教育の理論と実践―台湾淡江大学の「卒業制作及び指導」授業を例に―[102-1] |
2015-02-23 |
190 |
期刊論文 |
田世民 |
譯者備忘錄:淺談山室信一教授的學思歷程與《作為思想課題的亞洲》之間的關係[102-1] |
2014-08-14 |
191 |
期刊論文 |
富田哲 |
日本統治と植民地漢文-台湾における漢文の境界と想像[102-1] |
2014-01-13 |
192 |
期刊論文 |
顧錦芬 |
賢治童話「なめとこ山の熊」に見る異化手法―語り手を中心に[101-2] |
2021-03-25 |
193 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
3・11以後日本文学の振幅―『それでも三月は、また』における「原発」の課題[101-2] |
2018-10-18 |
194 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
台灣的村上春樹研究:大學生眼中的村上村上春樹[101-2] |
2017-10-31 |
195 |
期刊論文 |
李文茹 |
植民地台湾で歌われたモダンと自由恋愛−1930年代の閩南語流行曲をめぐって−[101-2] |
2017-08-14 |
196 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
2回の海外体験が交錯する漱石の東アジアへの視線―台湾のエクリチュールに触れつつ―[101-2] |
2017-06-15 |
197 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
淺談村上春樹《名字不帶色彩的多崎tsukuru與他的巡禮之年》[101-2] |
2015-02-23 |
198 |
期刊論文 |
曾秋桂 |
東日本大震災之後日本文學中生與死的書寫―以多和田葉子〈不死之島〉為例[101-2] |
2015-02-23 |
199 |
期刊論文 |
林寄雯 |
中譯日口譯練習活動設計[101-2] |
2014-06-05 |
200 |
期刊論文 |
田世民 |
從媒體史的觀點看近世日本知識人的《朱子家禮》實踐[101-2] |
2014-05-23 |